行きつけの店の常連が、あるとき「ここの料理が一番だ」と太鼓判を押したとします。ところがその3週間後、その人は同じ料理を、自分の厨房で作り始めていた──。

いま、AIの世界で、これによく似た出来事が起きました。世界最大級の顧客管理(CRM)企業 Salesforce(セールスフォース) が、自社としては初めての「考えるAI」を発表したのです。しかもその少し前、同社は投資家に向けて「AnthropicのClaudeこそ、お金で買える最高のAIだ」と語っていました。

何が起きたのか──Salesforceが自社モデル「Koa」を発表

Salesforceは、米サンフランシスコで開催中の年次イベント Dreamforce(ドリームフォース) で、自社初の推論モデル(考える手順を踏むAI)「Koa(コア)」を発表しました。

Koaの特徴は、大きく3つです。

  • NVIDIAの土台の上に、自分で仕立てた:ゼロから作ったのではなく、NVIDIAが公開している基盤モデル 「Nemotron(ネモトロン)」 をベースに、Salesforceが自社の業務向けに追加学習させたものです。
  • 用途を、営業・マーケ・サポートに絞った:あらゆる用途に使う「万能の巨人」ではなく、同社のAIエージェント基盤 Agentforce(エージェントフォース) で、営業・マーケティング・カスタマーサポートの仕事をこなすことに特化しています。
  • 実際の顧客データを使わずに鍛えた:学習には本物の顧客データを使わず、「怒って電話してくる顧客」「商談をまとめにいく営業担当」といった業務場面を人工的に作った模擬データ(合成データ)で再現して訓練したといいます。実データを外に出さない設計です。

TechCrunchはこの発表を、記事の見出しで「AIラボが恐れるべきすべて」と表現しました。なぜ、たった1社のCRM企業の新モデルが、AI開発の巨人たちを緊張させるのでしょうか。

“最強はClaude”の3週間後──決別ではなく「保険」

ここで冒頭の話に戻ります。報道によれば、Salesforceはこの発表の約3週間前、投資家に対して「Claudeこそ買える最高のAIだ」と説明していたとされます。その直後に、自前のモデルを出してきたことになります。

ただし、これはClaudeとの決別ではありません。SalesforceはKoaと同時に「Claudeforce」という提携も発表しました。これは、企業が自社のデータをSalesforceの環境内に留めたまま、Claudeを使えるようにする仕組みです。

つまり構図はこうです。Claudeへの賭けは続ける。だが、それ一本に頼りきりにはしない。 一番の上客が、仕入れ先を大事にしながらも、自分の厨房を持ち始めた。これは”裏切り”というより、依存先を分散する「保険(ヘッジ)」と読むのが正確でしょう。

なぜAIの巨人が恐れるのか──「回していた仕事」を引き戻す

Koaが効いてくるのは、お金の流れです。

これまでSalesforceのエージェントは、長い手順の思考が必要になると、その仕事をClaudeやChatGPTといった最先端モデル(フロンティアモデル)に”外注”していました(Agentforceの「AIゲートウェイ」という窓口を通して振り分ける仕組み)。当然、外注すればするほど、AI各社への支払いは増えます。

Koaは、この外注していた仕事の一部を、自社のモデルに引き戻すものです。しかもKoaは用途を絞っているぶん、同じ仕事を少ないトークン(AIが読み書きする文字のかたまり=コストの単位)でこなせるとされます。使うほど積み上がっていたフロンティアへの支払いを、圧縮できるわけです。

Salesforceの担当役員は、「これまでの課題は土台となる事前学習済みモデルが自前で持てないことだった」とし、NVIDIAのNemotronというオープンな土台が現れたことで、その空白が埋まったと語っています。巨大モデルを一から作れる会社はごく一握りですが、「公開された土台の上に、自社用に仕立てる」なら、事業会社にも手が届く。今回の発表は、その現実味を示した出来事でもあります。

なお、誤解のないように付け加えると、Koaは「Claudeより賢い万能AI」ではありません。あくまで特定業務に特化した、いわば”ちょうどいい”モデルです。報道も、総合性能でフロンティアを超えたとは述べていません。売りは「賢さ日本一」ではなく、「用途に合っていて、安く、データを外に出さない」ことにあります。提供時期や料金、日本での提供可否は、本稿の時点では確認できていません。

私たち「使う側」への持ち帰り──3つ

超大手同士の話に聞こえるかもしれません。しかし、この動きの底に流れている考え方は、AIを使う中小企業にとっても、そのまま指針になります。3点に整理します。

1. 「買う・作る・保険をかける」の3択で考える。 AIの選択肢は、もはや「どの最強モデルを契約するか」だけではありません。用途を絞れば、より小さく安いモデルで足りることも多い。Salesforceほどの規模でも、一本足打法をやめ、複数のAIを使い分ける道を選びました。中小企業が自前モデルを作る必要はありませんが、「この仕事に、その高級AIは本当に必要か」を一度問う価値はあります。

2. “ちょうどいい”は、“最強”に勝つことがある。 一番賢いモデルが、いつも最適とは限りません。決まった業務を大量にこなすなら、用途に特化して速く・安く・安定して動くAIのほうが、現場では役に立ちます。派手なベンチマークの数字より、自社の実際の仕事に「ちょうどいい」かどうか。最後の物差しは、いつもそこにあります。

3. 「データの行き先」を、選ぶ基準に入れる。 KoaもClaudeforceも、共通して「自社のデータを外に無闇に出さない」ことを設計の柱にしています。AIを業務に入れるときは、価格や賢さだけでなく、入力した情報がどこで処理され、誰に渡り、何に使われるのかを確認する。これは会社の規模を問わず、これからのAI選びの基本になっていきます。

まとめ

一番の上客が、仕入れ先を褒めた3週間後に、自分の厨房を持った。Salesforceの「Koa」は、AI開発の主導権が、モデルを作る巨人たちから、それを使う事業会社の側へ少しずつ移り始めたことを示す出来事でした。

鍵は「最強を借りる」から「ちょうどいいを、賢く組み合わせる」への移り変わりです。使う私たちにできるのは、一番高い道具に飛びつく前に、自分の仕事に合った道具はどれか、そのデータはどこへ行くのかを、落ち着いて見極めること。AIが増えるほど、選ぶ側の目が、成果を分けていきます。

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参考

本記事は複数の公開情報をもとに作成しています。