2年の歳月と約4,000万ドル。それだけかけて自社AIを作った会社が、発表の場で言ったのは「これからも他社のAIを使い続けます」でした──。矛盾しているようで、実はここに、これからのAI選びの答えが詰まっています。しかも同じ週、海の向こうでは「一番賢いAIが、高すぎて使われていない」という報道も。今日は、この2つのニュースをつないで読み解きます。
8月24日、150年分の法律データからAIが生まれた
法律・税務情報の世界大手、米**Thomson Reuters(トムソン・ロイター)**は8月24日、同社初の自社大規模言語モデル「Thomson」を発表しました(SiliconANGLE。一部報道では「Thomson-1」とも表記されます)。
- 投資額: 2年間で約4,000万ドル(人件費+計算資源)。ただし最終訓練の実行費は約45万ドル
- 材料: 判例データベース「Westlaw」など、4万以上のデータベースと150年分以上の法律出版物。数百人の法律専門家が訓練目標の設定と回答の評価に参加
- 作り方: ゼロからではなく、公開されているオープンウェイトモデルを土台に自社データで鍛え直す方式(報道によれば、土台は中国アリババのオープンモデル「Qwen」系)
- 初仕事: AIアシスタント「CoCounsel Legal」の大量文書レビュー機能。最大1万件の文書に、最大100個の質問を一括で投げられます
- 顧客データは学習に使わない、と同社は明言しています
法律という「間違いが許されない専門分野」で、自社の秘蔵データを使って専用AIを作る。ここまでは「なるほど」という話です。面白いのはこの先です。
それでもClaudeはやめない──「乗り換え」ではなく「使い分け」
トムソン・ロイターは発表の中で、CoCounselはマルチモデル製品であり続けると強調しました。自社モデルThomsonが担当するのは、得意分野である文書レビュー。それ以外の対話・リサーチ・文書起案などでは、AnthropicのClaude、OpenAIのGPT、GoogleのGeminiといった外部モデルを引き続き併用します。
それどころか、8月20日に発表された次世代のCoCounsel Legalは、AnthropicのClaude Agent SDKを土台に構築されています(Thomson Reutersプレスリリース)。つまりこの会社は、自社AIを作りながら、外部AIとの結びつきをむしろ深めているのです。
4,000万ドルは「乗り換え費用」ではなく、「ポートフォリオに専門職を1人加える費用」だった──そう読むのが正確でしょう。背景には、外部AIのコスト上昇と、展開やガバナンスを自社で握りたいという動機が報じられています(The News International)。
同じ週のもう一つのニュース──「最強モデルが使われない」
この発表の直前、英Financial Timesがこんな見出しの記事を出しました。「Anthropicの最上位AIモデル、安価なツールが繁盛する中で利用者獲得に苦戦」。技術者コミュニティHacker Newsで755ポイントを集める大きな話題になっています(Simon Willison氏の紹介)。
FT報道が引用する企業支出データ(Ramp AIインデックス・2026年7月)によれば、Anthropicのモデルに対する企業の支出のうち、最上位モデル「Fable 5」の割合はわずか8.0%。最も使われているのは一段下の「Opus 4.8」で28.0%でした。最上位モデルの料金は100万トークンあたり10〜50ドル。一方、中国勢の同等クラスは1ドル未満という報道もあり、Anthropicモデルの平均支払価格自体も7月中旬から約25%下がったとされています。
つまり企業の現場では、「一番賢いAI」を丸ごと契約するのではなく、簡単な仕事は安いモデルへ、難しい仕事だけ高いモデルへと振り分ける「モデルルーティング」が当たり前になりつつある。この流れは以前から追ってきた通りです。詳しくはこちら:AIの「入口」を握るのは誰か──モデルルーター時代
トムソン・ロイターの判断は、この文脈に置くとすっきり見えます。「最強を1つ」ではなく「適材適所で何枚も」。自社モデルはその手札の1枚にすぎません。
「作る」のハードルは下がった。ただし──
今回の発表でもう1つ見逃せないのが、最終訓練の実行費が約45万ドルという数字です。オープンウェイトモデルという「できあいの土台」の品質が上がったことで、フロンティアモデルをゼロから作るのに比べ、自社モデルは桁違いに安く現実的な選択肢になりました。土台になったと報じられるQwenは、世界で累計30億ダウンロードを超える人気オープンモデルです。詳しくはこちら:世界一使われる中国AI
ただし、誤解してはいけない点が2つあります。
第一に、45万ドルは「最後の仕上げ」の値段です。総額では4,000万ドルと2年間、そして数百人の専門家の目が投じられています。安くなったのは計算費であって、手間ではありません。
第二に、自社モデルは万能ではありません。実際、Amazonは7月、自社モデル「Nova」の開発を縮小し、外部モデルを売るマーケットプレイス戦略へ舵を切りました。大手ですら「作る/借りる」の判断は割れているのです。詳しくはこちら:Amazonが自前AIを縮小した日
トムソン・ロイターに「作る」を決断させたのは、計算費の安さではなく、150年分の独自データという、他社が逆立ちしても手に入らない資産でした。ここが分かれ目です。
中小企業への持ち帰り3点
1. AIは「1つに絞る」より「仕事ごとに使い分ける」 世界大手ですら、自社AIと外部AI3社を並べて使う時代です。私たちも「契約したから全部これで」ではなく、下書きは安いモデル、顧客に出す文章は高品質モデルのように、仕事の重要度で使い分けるのが合理的です。多くのAIサービスは今、モデルを選べるようになっています。
2. 「最強」ではなく「その仕事に十分」で選ぶ 最上位モデルのシェア8%という数字は、世界の企業が「十分ならば安い方でいい」と判断している証拠です。AIツールを選ぶとき、ランキング上位や最新モデルを追いかける必要はありません。自社のその業務で、必要な品質が出るか。試して確かめてから決めましょう。
3. 本当の資産は、モデルではなく自社データ トムソン・ロイターの強さの源は150年分の専門データでした。中小企業にも同じ構図はあります。過去の見積もり、顧客対応の記録、業務マニュアル──これらが整理されていれば、将来どのAIを使うにしても精度が上がります。今日からできるAI投資は、モデル選びより「自社データの整理」かもしれません。
まとめ
- トムソン・ロイターが8月24日、自社初のAIモデル「Thomson」を発表。2年・約4,000万ドル投資、150年分の法律データで訓練し、まず大量文書レビューに投入
- 同時に「Claude等の外部AIは併用し続ける」と明言。次世代製品はClaude Agent SDK上に構築され、狙いは乗り換えではなく「使い分け」
- 同じ週、英FTは「Anthropicの最上位モデルは高価格で利用が伸びない」と報道。企業支出に占める最上位モデルの割合は8%にとどまる
- オープンモデルの進化で「作る」ハードルは下がったが、決め手は計算費ではなく独自データの有無
- 私たちの持ち帰りは、AIを1つに絞らない・「最強」より「十分」で選ぶ・自社データを整える、の3点
一番高い道具を1つ買うことが、いい仕事の条件ではない──職人の道具箱と同じ景色が、AIの世界にも広がってきました。あなたの道具箱には、何を入れますか。
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- 逆に自社モデルを畳んだAmazonの判断。詳しくはこちら:Amazonが自前AIを縮小した日
参考
- Thomson Reuters launches proprietary AI model for legal work(SiliconANGLE)
- Thomson Reuters Launches Next Generation of CoCounsel Legal(Thomson Reutersプレスリリース)
- Thomson Reuters builds AI model using Alibaba’s open-source tech(The News International)
- Anthropic’s best AI model struggles to attract users as cheaper tools thrive(Simon Willison・FT記事の紹介)
- Anthropic’s AI model struggles to gain users amid cheaper competition(Crypto Briefing)
※本記事は複数の公開情報をもとに作成しています。FT記事の数値は二次ソース経由で確認したもの、Thomsonモデルの性能優位は同社の自社評価です。